こんにちは!「Ash(アッシュ)」という美容室をご存じでしょうか?アッシュは東京・神奈川の関東を中心に美容室をチェーン展開する一大グループです。(アルテサロン)
アッシュは吉原直樹さんは一代で築き上げたグループです。この記事ではそんな吉原さんについて迫っていきます。
アッシュ吉原直樹さんはどんな人?
吉原直樹さんはアッシュなどの美容室を運営する株式会社アルテサロンホールディングス代表取締役会長であり創業者です。吉原さんはたった一代でアッシュの全国チェーン展開を果たしました。吉原直樹さんとはどのようなご経歴を経てここまでの巨大グループを築き上げたのでしょうか?
アッシュ(アルテサロン)創業者、吉原直樹さんの経歴
吉原さんは1956年神奈川県にご誕生されました。埼玉大学に入学し、パラーリフティング部に所属しました。教師になろうと考えて教育免許を取り、小中学校で教育実習をされるなどかなり真面目でストイックな学生生活を送っていたようです。その後教師の道ではなくタカラベルモントという理美容室向け器具を販売している会社にご就職されました。当時タカラベルモントは理美容椅子販売のシェアは世界一だったそうです。ここから吉原さんの巨大美容室展開への道への第1歩がスタートしていきます。
ご就職後は営業をご担当されます。お酒を飲むことが苦手したが苦労しながらも取引先との信頼関係を築いていき成績を残していきます。海外駐在員のお仕事を希望していた吉原さんでしたが海外駐在員募集の落選してしまいます。そんな悶々としている中で、26歳のときにタカラベルモントで営業を行っていた会社に「美容室をチェーン展開していきたいので力を貸してほしい」と依頼を受けて営業部長として転職されました。
店舗運営や店舗展開をしていくと共に若い美容師への指導も行うようになりました。悪戦苦闘してく中でも育てるということの面白さに目覚めました。ただ若い美容師が成長していく中で吉原さん自身が美容免許を取得していないことに引け目を感じ28歳の時に自ら美容師免許を取得するために通信の美容専門学校に入学されたそうです。すごいバイタリティですよね。
30歳で美容免許を取得した後、店舗運営、店舗展開の経験を活かしていきたいと強く思い吉原さんは独立をします。1986年に美容室を神奈川県に開業しました。
1988年には有限会社アルテを開業しどんどん仕事に励んでいきます。ただ美容室経営をする中で成長した美容師がどんどん独立していくことに対してうれしさ反面もどかしさを感じていたようです。美容師が独立してしまうことで美容室の売上は実際大きく減ってしまいます。そんな中で吉原社長が考えたのが「暖簾分け型フランチャイズ方式」です。暖簾分け型フランチャイズ方式とは、独立を希望する美容師が店舗運営をできるようになった段階でアッシュのお店の権利を渡す方法です。このようにすることで美容師としては独立資金を貯める必要なく自分のお店を開業できるというメリットがあります。美容師独立のボトルネックとなる資金面の問題を解消した訳ですね。
この暖簾分け型フランチャイズ方式によってアッシュは急速に展開していきます。1999年の代官山店、2000年には渋谷店、2001年には銀座店を出店するなど急速に店舗展開を果たしていき2004年にはジャスダック市場への株式上場を果たしました。
2006年からはニューヨークへの展開を果たすなど海外へも積極的に展開を見せています。2016年には中国に出店を果たすなどアジアへの出店もこれから強めていくようです。
吉原直樹さんの魅力
吉原さんの魅力はなんといっても年齢に捉われない行動力です。30歳で美容免許を取得されたとのことですが28歳になって美容の専門学校に通うことを決意されたことに強い意志を感じます。また50代でMBAを取得されておりかなり勉強熱心な方といえるでしょう。吉原さんは日本には野心が足りないとおっしゃっており、常人とはかけ離れたパワーを持っていることがうかがい知れます。
また美容師への熱い気持ちを感じる人でもあります。教師になることをご検討されたということから人に対する情熱が熱くその人にあったポジションを与えることが成長につながるというお考えの持ち主ですので、その情熱と人をしっかりと見る目が社員からの信頼を得てここまでのグループに成長されたことの要因になっているのではないでしょうか。美容業界の待遇改善にも尽力されています。
まとめ
ここまで美容室アッシュを創業された吉原直樹さんについて解説してきました。吉原さんはとてもバイタリティのある方でゼロからのスタートでアッシュをここまでの規模に成長させたとんでもない方です。今後アッシュは中国などのアジア地区への展開を見せることを明言されており、攻める経営者としてもまだまだご健在のようです。今後の成長が楽しみですね。最後までお読みいただきありがとうございました。